オーストラリアの成人移民者向け英語学校で出会った友人たち

オーストラリア









私は永住ビザ取得の条件として、日本で自己負担額20万円ほどを支払って、オーストラリア入国後に「成人移民者向け英語クラス」で510時間勉強しなければなりませんでした。

日本で暮らしていたら、まず会えない国の出身者、さらに多様な文化や背景を持った人たちと「友人」として出会えたことは、私にとってオーストラリアで働いて生活したからこそ得た、素晴らしい贈り物でした。

オーストラリアは、彼らのような多様な文化や背景を持った人が作っている国です。そのオーストラリアで働く場合、あなたの同僚や隣人に、私が出会ったような人がいる可能性もあります。

そこで今回は成人移民者向け英語学校で出会った、世界中から集まった大人の移民たちについてお話します。

成人移民者向け英語プログラム、AMEP

花

永住権の申請をしたとき、メインの申請者である夫は、IELTSの試験結果を提出しなければいけませんでした。私は家族扱いで、申請時には英語力の証明は必要ありませんでした

ところが、ある日突然「今日から3ヶ月以内に受けた/受けるIELTSの結果を、3か月後までに提出してください。できなければ、規定料金を支払って、オーストラリアで510時間の英語教育を受けてください」と、在日オーストラリア大使館から手紙が来ました。

そのとき、ちょうど、軽い病気で入院中だった私は、3か月以内にIELTSを受けられるまでに回復することは難しそうだったので、日本で先にお金を払い、オーストラリアに行ってから、指定された英語プログラムを受けることにしました。

それがAMEP、成人移民者向け英語プログラムでした。

AMEPでの経験

メルボルンで賃貸を契約し、ようやくAMEPを運営するAMES(以下「成人移民者向け英語学校」とします)へ行ったのは2月中旬のこと。簡単なプレースメントテストを受けた結果、私は中級の上クラスとなりました。

クラスに加わった最初の日。授業は、過去形の作り方でした。「これって中学英語でしょ?なんで今更、こんなレベルに」と思った私は、レベルを変えてくれるように、事務局に言いました。

ところが「あなたは読めるけれど、話したり聞いたりが弱いから、このレベルからやり直す方が良い」と説得され、渋々とそのクラスに通うことになりました。

授業は午後1時から5時までで、間で15分のブレークがありますが、それ以外はずっと英語漬け。英語で英語を習う、という新しい体験でした。

ときには、プレゼンテーションや討論会、PC操作の実習もありました。説明は全て英語、発言も英語。社会に出る前に、間違っていようとなんだろうと、英語を使わなければならない環境に身を置いたことは、その後の社会進出に大いに役立ちました。

宿題も、日記や意見書の作成、さらに問題集と、毎日大量に出されました。もう一度中学英語からやり直したおかげで、自分ではできていると思っていた英文法を学びなおせたのは、とても良かったと思います。

成人移民者向け英語学校のクラスメイトたち

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クラスで日本人は、私だけでした。1日だけ、いつもは別のクラスにいるという日本人女性、ちえさんが振替で私のクラスに来ました。ちえさんは、私がオーストラリアで最初に出会った日本人で、すぐに友達になりました。

私のクラスは中国、香港、ベトナム、イスラエル、ロシア、チェコ、ルーマニア、フランス、ボスニア、コロンビア、ブラジル、スーダン、ソマリアと正に世界中から生徒が集まっていました

みんな、まだオーストラリアに来て間がないので、様々なフラストレーションがたまっています。それを話したいけれど、共通語は英語のみ。みんな必死に拙い英語で話し、聞き、討論しようとしました。

振り返ると、この経験が私の英語力を飛躍的に伸ばし、さらにオーストラリアで生きるために必要な心構えの習得になったと思います。

英語で意見を伝える工夫

伝えたいことがあったら、その英語が正しいだけでなく、相手にとってわかりやすいか、がとても大切です。

私は短文で、ブロックを組み立てるように、少しずつ前進する方法で話しました。そしてわかりやすい表現や語彙を選ぶことで、相手に伝わりやすくしました。これは、今でも使っている手法です。

AMEPのクラスメイトとの会話から、世界の人から見たら、日本はどう見えるのか、ということも学びました。

AMEPのクラスメイトたち

陳さん(中国)

日本の製品は質がいいわね。それに一目で、日本人ってわかるのよね。みんな笑顔で、優しくて、良い服を着ているから。

趙さん(香港)

オーストラリアは、空気はいいけれど買い物が今一つよね。肉も魚も野菜もスーパーでしょ?新鮮じゃないわ。

そして子供の教育レベルが低い。私立に通わせればいいけど、お金がかかりすぎる。子供の教育を考えたら、香港にいた方が良かったわ。日本もそうじゃない?

ロイ(ベトナム)

日本は良いね。お互いの国民同士が戦った僕の国は、まだぎくしゃくしている。僕の家族はもうベトナムには帰れないんだ。帰ったら、今の政府につかまって刑務所行きだよ。なぜって?それは僕の家族が南ベトナム、アメリカ側についていた高官一族だからなんだ。

ナディア(イスラエル)

私はね、イスラエル空軍の管制官だったの。イスラエルには男女ともに徴兵制があるのよ。日本にはないの?いいわね。

本当は誰も戦争なんて望んでいない。でも私たちは長い間自分の国を持てなかったから、やっと手にした場所を手放したくないって思う人が多いの。私?全然、そんなこと思わない。だからオーストラリアに来たのよ。

サラ(イスラエル)

結婚したからオーストラリアに来たの。でもね、私、ここは全然好きじゃないわ。英語が話せるだけで鼻が上を向いている人が多すぎる。教育レベルはイスラエルの方がずっと高いのに。早くイスラエルに帰りたいわ。あなたもそうじゃない?

マリア(ロシア)

結婚してオーストラリアに初めて来たの。暑くて死ぬかと思った!私、この学校を卒業したら就職できるかしら?だって私の専門は共産主義経済だったのよ。経済研究所の分析官だったの。そんな仕事、ここにはないでしょう?

マリア(ロシア)

教員の研修で、一度メルボルン大学に来たの。そのとき、英語が全然話せないから、学食で会った親切そうな人に、紙に『友達になってください』って必死に英語で書いて渡したの。それが今の夫よ。運命の出会いだったのよ。

仕事?夫が稼いでくれるから、私は必要ないの。それにしても、ボスニアの人たち、なんで私達の国を悪く言うのかしら?ソ連が守ってあげたのに。なんだか恨んでいるみたい。嫌ねえ。

マイカ(チェコ)

婚約者のフィリップが、徴兵が嫌でオーストラリアで就職しちゃったから、ここへ来たの。

私はチェコでは数学専攻で博士号までとったのに、オーストラリア政府機関の認定では『チェコは授業のレベルが低いから、あなたの学歴はオーストラリアでは修士号です』だって。失礼だわ。早く仕事をしたい。そして家を買いたいの。

ミワラ(ルーマニア)

子供の頃から結婚の約束をしていたユージーンがオーストラリアに家族で移住したから、私も結婚のために来たの。

うーん、ここは悪くはないんだけど……。でも悪口を言ったら、どこかで盗聴されているかもしれない。ビザの更新ができなくなるから、そういう話は別のところでしましょう。その方が安全よ。

マリー(フランス)

ここでの暮らしは我慢ね。だって文化の厚みが私の国とは違うから。あなたの日本もそうじゃない?長い伝統のある文化の中で育つと、ここはなんだか薄っぺらに感じちゃうの。

ナーダ(ボスニア)

平和な国に来られてよかった。もう銃撃戦の音なんか聞きたくないわ。頭の上で戦闘機が飛ぶ音って聞いたことがある?『死ね、死ね』って言われているみたいなのよ。もう二度とごめんだわ。

スロボダンカ(ボスニア)

戦争の話はもうしたくない。だけど僕らが何で戦争になったかわかるかい?貧しいし、教養が無かったからだよ。

自分の国で作ったものを全てソ連に取り上げられて、みんな貧しかった。大学だって、兄弟のうち1人しか行かれなかった。ソ連の奴らはそんなこと、何も知らない。それが悔しいよ。

マニュエル(コロンビア)

この国は暢気だな。僕の故郷はギャングがいて、そいつらに睨まれたら、即、殺されるんだ。日本にも「ヤクザ」っているんだろう?そいつらは殺さないのか?

ジェーン(ブラジル)

私、日本でダンサーだったのよ!オーストラリア人の夫とも日本で出会ったの。最初は二人で、日本語で話していたのよ。面白いでしょう?

私達、熱烈に愛し合っていた。だからオーストラリアに来たんだけど……。でも彼はこの国では日本にいたときと違う。なんだか私のこと、どうでもいいみたい。仕事がうまくいっていないからかもしれない。

日本はいい思い出ばっかりよ。道を歩いていたらティッシュを無料でくれるなんて、信じられなくて。嬉しくって、たくさんもらったの!

それにゴミにしてある家具類なんて、使えるものばっかり!だから、私、片っ端からもらって、それで家具を揃えたのよ。豚肉ばっかり食べるのは、ちょっと困ったけどね。良い国だった、日本。また行きたいわ。

アル(スーダン)

私はスーダンでは高校教師だったんだよ。だけど、内戦で街は破壊された。難民申請をして、OKをくれたのがオーストラリアだったから来た。それだけだよ。

私はここでは、ただの難民のおじさんだ。何もできない。何も。タクシー運転手が関の山だ。それだって莫大な金がかかる。何も無いんだ、俺には。何もかも、国に置いてきたから。

ユスフ(ソマリア)

オーストラリアは人権やそれぞれの文化を大事にしている?嘘だ。本当なら、どうして1人の妻しか連れて来られないんだ?俺の国の文化では妻は4人なんだよ。それなのに3人を残してきた。どこが複合文化主義なんだ。オーストラリア人が言っていることなんて、嘘っぱちだ。

アーイシャ(ソマリア)

あなたは自分の国に帰れるんでしょう?いいわね。私は祖国の空港に着いたら、すぐに捕まるわ。夫や父はすぐに銃殺よ。今の政府とは違う側だったから。だから私たちは、ここで生きていくしかないの。

でもね、蛇口からは飲める水が出て、難民だから福祉手当もあるし、医者もタダよ。天国みたい。ただ、私達の姿をじろじろ見る人がいて、嫌だけどね。

みんな違って、みんないい

たまたま私の入ったクラスは、同じ母語の人が少なかったため、母語ごとのグループができず、みんな英語でコミュニケーションをとりました。日本にいたら、一生会えないだろう国の友達に、故郷のことや文化のことを聞くのが私は大好きでした。

ソマリアのアーイシャは、なぜかいつもノートは持ってきても、ペンや鉛筆を持ってきません。私はオーストラリアで売られている綺麗に消えない消しゴムではなく、日本製の消しゴムを愛用していたのですが、アーイシャはいつも「貸して」と言います。

貸すと、アーイシャは勝手に私の消しゴムを、同じソマリア系の女性たちの中で回して使います。授業の終わりに「返して」と言うと、びっくりした顔で「ああ、あなたのだったわね。はい」と、投げて返します。

失礼だな、と思いましたが、彼女には全く悪気は無い様子でした。多分、彼女の文化では、持っている人が貸して、それを共同で使うのが当たり前で、モノは個人の所有物という考えが薄いのだろうと考えました。

イスラム圏の結婚生活は?

あるとき、ソマリアのユスフを取り囲んで、非イスラム圏の女性たちが「どうやって4人の妻と暮らすの?そもそも、どうして4人なの?」と質問攻めにしました。すると、ユスフは丁寧に教えてくれたのです。

妻は4人まで、と決めたのは預言者ムハンマド。その規則ができる前は、金持ちが金にあかせて100人以上の妻を持って、貧乏人は独身が当たり前だった。妻はラクダと同じように、自分の資産で、数の多さが裕福さの証だった。

それを、ムハンマドが規制をしてくれた。4人は「未亡人になったり、持参金が少なくて結婚できない女性を養ったりするためなら、4人までは仕方がない」ということで、「4人持っていい」ではない。

4人の妻は、それぞれの家で暮らす。子供も、それぞれの家で育つ。だから夫は、4人の家に平等に通うように、スケジュールを立てて管理する。これは大事なことだ。不公平にすると、妻どうしが憎みあって争うことになるから。

だいたい、第一夫人は親が決める。そのあとは、自分が決める。第一夫人としても、他の妻たちと争いたくないので、第二夫人、第三夫人を自分の姉妹や、いとこ、友達を推薦する。そして、スケジュール管理を手伝ってくれるんだ、と。

妻はラクダと同じ資産!?と我々は憤慨しましたが、ユスフは、これは偉大な改革で、素晴らしいシステムだ、と何度も言いました。

気づくと、ユスフは私達とは正面きって、顔を見ながら話せるのですが、同じイスラム圏の女性にはそれができません。イスラム圏では、見知らぬ男女が顔をしっかりと見合うのは、恥ずかしいことらしいのです。でも私たちはOK。

つまり私たちは、ユスフにとっては「異性」の対象ではないのです。言うならば、犬や猫と話すようなもの。だから顔や目をしっかり見られる、ということがわかりました。

日本は変な国!?

山

コロンビアのマニュエルからは

「日本のドラマ、『おしん』を知っているよ。でも知りたいことがあるんだ。」

「なあに?」

「どうして、おしんはあんなに苦労したのに、小さなスーパー1軒だけで満足しているんだ?もっと、ビジネスを拡大させて、世界展開するとかしないのか?あんなに苦労して、たった1軒のスーパーで満足するなんて、考えられない」

と言われて、なんとも返事ができませんでした。

他にも

「『水戸黄門』はずるい。印籠を持っているなら、最初から言わなきゃフェアじゃない」

「『ドラえもん』は台湾のアニメでしょう?なんで、日本でも人気なの?」

「なんで日本には、独立記念日が無いんだ?」

などいろいろな質問を浴びせられ、返事に困りながらも、とりあえず日本の車や電化製品以外に、文化にも興味を持ってくれていることがわかって、なんとなく嬉しくなりました。

まとめ

手

同じように新しい環境で、四苦八苦している移民初心者が集っていた成人移民者向け英語クラス。そこで知り合った友達は、共にオーストラリアで生きていこう、と手を携えていく、最強の仲間になりました。

様々な背景を持った人たちとの出会い、率直な話し合いができた学校生活は、オーストラリア生活の思い出の中でも、ひときわ輝いています。

あなたも、多文化主義のオーストラリアで働いたら、私が出会ったクラスメイトのような、日本にいたら、決して会うことのない人と出会うかもしれません。

そのときに、また自分の知識と感性の地平線が広がるのを感じられるでしょう。それが可能な国が、オーストラリアなのですから。